ちゅうせき物語

1949年 8月 資本金500万円にて、
広島市上流川町20番地に
中国石炭株式会社を設立
石炭、コークスの販売を
開始
1950年 5月 本社を現在地に移転
1956年 6月 資本金 1000万円に増資
1961年 4月 冷暖房機器の取扱開始
1961年 8月 中石産業株式会社に
社名変更
1962年 4月 資本金 2000万円に増資
1975年 9月 資本金 4000万円に増資
1989年 4月 東京営業所開設
1989年 4月 合併により
広島セントラル営業所
スタート
1992年 10月 山口営業所開設
1992年 10月 資本金 5000万円に増資
1993年 10月 資本金1億円に増資
2000年 10月 ISO9001を取得
(空調部門)
2001年 5月 宇品本部ビル新築移転
2002年 6月 ISO14001を取得
(一部営業所を除く)
2006年 1月 東広島営業所開設
2008年 4月 徳山営業所と山口営業所を
合併、山口営業所の業務を
徳山営業所に移管
2010年 4月 東京営業所を閉鎖、東京事務所を開設、空調部横浜事務所を開設
2011年 4月 営業企画本部を新設
2011年 11月 松江営業所事務所新築移転
2012年 4月 松江営業所と石油LPG松江基地を合併、松江営業所とする
2019年 8月 創立70周年を機に、社名を
「中石産業株式会社」から
「株式会社ちゅうせき」
に変更


忘れてはならない歴史
広島の歴史を物語る碁盤
囲碁 まだ、ちゅうせきを設立する前、昭和20年のこと。
広島には忘れてはならない大きな出来事がありました。
それは、第二次世界対戦で原爆が投下されたこと。
そのとき、弊社の初代会長は、九死に一生を得た数奇な体験されました。

弊社の歴史とは少し離れてしまいますが、広島を本社とする企業として誇れる物語をぜひ、ここでお話して、後世に伝えたいと思います。
昭和20年8月6日、戦争の末期、疎開や旅行規制で混乱している中、広島市で本因坊戦を開催することになりました。
第1局は、現在平和公園のある付近で開催。しかし、当時の中国総監府青木重臣長官が「戦争の状況が非常に悪くなってきているので市内での開催は危険だから、市内で打ってはいけない」と厳命。
そこで急きょ、五日市の津脇元会長宅が代わりの対局場として選ばれたのです。

第2局は8月4日から6日までの3日間。その第3日目、さあはじめようという矢先に原爆の投下があったのです。結果、五日市の津脇元会長宅に移動したおかげで、日本の囲碁有段者を失わずにすむことができました。
それから7年後、本因坊参加者が津脇元会長宅に集まることに。
その時、瀬越憲作八段(当時)により、当時使用された碁盤は「澄神」と命名。橋本宇太郎本因坊、岩本薫七段(当時)両氏も署名をされました。

その碁盤は、現在も津脇家の家宝として、碁石とともに保存されています。
 
大手町児童公園の原爆慰霊碑
大手町児童公園 昭和20年8月6日には、弊社の初代会長津脇勘市が当時社長を勤めていた中国石炭配給統制(株)本社をはじめ、日本石炭(株)広島支店、西日本石炭輸送(株)広島支店の3社は一瞬のうちに倒壊して、社員は殉職しました。

この霊をなぐさめるため、大手町児童公園内に記念碑を立て、毎年8月6日、仏式で法要しています。慰霊碑は、児童公園内に建てさせていただいておりますので、子どもを守るお地蔵さまとしました。